中国とシルクロード(China and the Silk Road)


シルクロードは、古代の人々が アジアとヨーロッパを行き来するために使っていた、巨大な「交流の道(交易ネットワーク)」のことです。

絹(シルク)がよく運ばれたので「シルクロード」と呼ばれていますが、実は絹だけでなく、香辛料・宝石・宗教・文化・技術などが行き交い、世界の文明をつないだ重要な道でした。

※上のお店の写真は敦煌にて。砂漠のキャラバン隊はイメージです。



敦煌

敦煌は、中国・甘粛省にある、シルクロードの要衝として栄えたオアシス都市です。

タクラマカン砂漠の東端にあり、東西の文化・宗教・芸術が交わる場所として、古代から特別な役割を果たしてきました。

敦煌最大の見どころが「莫高窟(ばっこうくつ)」。砂漠の岩山に刻まれた仏教美術の大規模な洞窟群です。

 

 

莫高窟は 4世紀ごろから約1000年にわたり、僧や職人たちが絵や仏像を作り続けました。

洞窟は 700以上。壁や天井に色鮮やかな壁画が広がります。

シルクロードを通じて集まった、さまざまな文化が混ざり合った独特の美しさです。



西安

諸説ありますが、シルクロードの東の端は中国の長安(現在の西安)とされるのが一般的です。

とりわけ「大雁塔(だいがんとう)」は、中国・西安にあるとても古い仏教の塔で、シルクロードを通じて伝わった仏教文化を今に伝える、古都西安のシンボルです。

「華清池(かせいち)」は中国・西安の郊外にある、1300年以上の歴史ある温泉リゾートの跡地。  唐の時代、皇帝や貴族がここで温泉につかり、休んでいたと言われます。

唐の皇帝・玄宗と楊貴妃が過ごした場所としても知られます。

「兵馬俑(へいばよう)」は、約2000年前に中国の始皇帝の墓を守るために作られた、等身大の兵士や馬の像の大軍団です。

兵士や馬の像が8000体以上あり、一体一体、顔や髪型が違い、世界最大級の考古学的発見として有名です。



トルコのイスタンブール

トルコのイスタンブール(旧コンスタンティノープル)は、シルクロードの“西の端”の一つとされています。イスタンブールはアジアとヨーロッパをつなぐ最大の交易拠点で、東方から運ばれた絹・香辛料・宝石などが集まり、ヨーロッパへ再び流れていく“玄関口”でした。

※注)シルクロードは一本の道ではなくネットワークなので、地中海沿岸(アンティオキアなど)、レバント地域(シリア・レバノン)  を“西の端”とする学説もあります。

ボスポラス海峡

ボスボラス海峡は、トルコのイスタンブールにある アジアとヨーロッパを分ける細長い海の道で、片側がアジア、もう片側がヨーロッパです。

シルクロードの西の終点に近く、文化が交わる重要な場所として知られます。


☆3月28日は「シルクロードの日」

1900年(明治33年)のこの日、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家のスヴェン・ヘディンによって、シルクロードの古代都市・楼蘭(ろうらん)が発見されたことに由来しているそうです。


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